こんにちは、ライトです。
この記事では
なぜ、私がネットビジネスを始めたのか?
どのようなビジネスで利益を出しているのか?
情報発信をはじめた目的は?
超ネガティブ人間だった私がネットビジネスを始めた経緯と現在の活動、
ビジネスを通じて実現したいことについて
具体的に話していこうと思います。
過去の自分と決別するために書いたレポートでもあり、
自分の強い信念を貫くためにすべての想いを赤裸々に語っていきます。
これを読んで少しでも私の考えに共感してくれると嬉しいです。
サラリーマンとフリーランスの両方を経験している私ならではの、
仕事や人生に対する価値観、ビジネスを通じて実現したいこと
まで事細かに綴ります。
はじめに私が幼少期~学生時代から社会人になり、
どのような経験を経てネットビジネスをはじめたのか?
度重なるうつ病や適応障害から立ち直り、
ネットビジネスを通じてどのようにマインドが変化していったのか?
長文にはなりますが
最後まで読んでくれると嬉しいです。
それではここから始まりです。
いじめを経験した幼少期
私、ライトは2人兄弟の次男として
日本のあるところで生まれました。
幼少期の私はとにかく食欲旺盛。
食べる量が周りの子と比べても異次元だったそうです。
園児の頃から大人顔負けの量を食べていました。
具体的なエピソードとして、
地元で超有名なラーメン屋があるのですが、
看板メニューである山盛りの中華丼(大人でも完食できない人が多い)を
一人で食べ切り、店主やその場にいたお客さん全員に驚かれたという逸話もあります。
食べすぎっ子だったために体型は周りの子よりも明らかにメタボ体型。
それが原因でイジメられることが多々ありました。
一方、太っている私と比較して兄はかなりの瘦せ型体型。
これも私のコンプレックスを助長させる一つの要因となっていました。
小学校に上がってからも体型をバカにされることはありました。
幼い頃のイジメられた経験やバカにされた経験が、
ネガティブ気質な性格を形作っていったのかもしれません。
体型に対するコンプレックスはその後も改善されず、
小学5年生まで続くことになります。
本気で瘦せることを決意した小学5年生
小学5年生、ある夏の日のこと。
自分のコンプレックスを改善することになる、ある出来事が訪れます。
親友だった友達と、些細なことがきっかけで大喧嘩になりました。
「バカ、アホ、悔しかったら痩せてみろデブが!」
何度も何度も罵声を浴びせられ、
それまで仲が良かった友達だからこそ、精神的に大ダメージを受けました。
これを機に、本気で痩せることを決意したのです。
その日母親に相談し、どうやったら痩せられるか聞いたところ、
・「夜ごはんを早めに食べる」
・「夜ごはんを食べた後、毎日一緒に散歩する」
・「早めに寝る」
という結論になり、夏から母親とのダイエット作戦がスタート。
ダイエット作戦とはいっても、食事・運動・睡眠を徹底しただけです。
はじめこそ目に見える変化はなかったものの、
体型は少しずつ変わっていきました。
そして秋~冬頃になると、見た目は別人のように変身。
痩せたと同時に、身長も急激に伸びていました。
横に太っていたのが縦に伸びていった感じです。
身長も高くなったことで一石二鳥でした。
食事・運動・睡眠は本当に大事なんだと、
子供ながらに理解できた経験でもあります。
体型に対するコンプレックスも消え、両親曰く
「体型だけじゃなく、性格も少し変わった。今までよりも明るくなった」そうです。
それ以降いじめらることもなくなり、
人生のターニングポイントとなった一つでもあります。
今となっては、痩せるきっかけを作ってくれた友達に心から感謝しています。
海外での生活が始まるまで
小学6年生の冬。
父親が会社から帰宅すると、人生で初めて家族会議が行われました。
そして父親が口を開きました。
「海外(場所は伏せるが東南アジアです)に転勤することになった。
来年の6月から家族全員で引っ越そう」
「、、、は??」
今まで転校なんか経験したことがないのに、初めての転校が海外?
友達は?ペット(犬)は?生活はどうなるの?日本には戻って来れるの?
小学生の自分にとっては理解できないことが多く、
また、もともとネガティブ思考ということもあり、
不安しかありませんでした。
特に嫌だったのが
・地元の友達と離れてしまうこと
・飼っている犬を親戚に譲渡すること
・いつ日本に戻ってこれるか分からなかったこと
現実を受け入れることができず、
毎日こたつの中で泣いていたことを今でも覚えています。
それでも時間は待ってくれず、
嫌な気持ちを引きずったまま小学校を卒業することに。
私が海外に引っ越すことを知っていた友達の中には、
お別れパーティーのようなものを開いてくれる人達もいました。
良い友達に恵まれたからこそ、地元を離れることが余計に辛かったです。
そして4月へ。
海外に引っ越すのは6月だったため、
日本の中学校は2カ月間だけ通うことになりました。
その短い期間にバレーボール部に所属していたのですが、
部活の顧問は私に少しでも思い出を残してあげようと思っていたのか、
ド素人で下手くその私を何度か練習試合に出させてくれました。
また、同じクラスの生徒たちともすぐに打ち解けることができ、
休み時間は大勢でサッカーやバスケなどをして遊んでいました。
そして、最終登校日はクラスの人達にお別れ会を開いてもらいました。
しかも、貴重な授業の時間を潰してまで。
お別れの手紙も貰いました。
サプライズ的なものまでありました。
普段人前ではあまり泣かない私ですが、
この時ばかりは号泣してしまいました。
「感謝の気持ちを忘れないこと」
祖母の昔からの教えですが、私が今でも大切にしている価値観です。
短い期間でしたが、私に関わってくれた全ての人達に
「ありがとう」
この言葉をきちんと口に出し、感謝の気持ちを心から伝えました。
良い教師や良い学友に恵まれ、
充実した学校生活を送ることができました。
そして海外へと旅立つのでした。
東南アジアで過ごした中学生時代
中学生時代は東南アジアで過ごすことになります。
今まで見たことのない人種、聞いたことのない言語、独特な匂いの食べ物、、、
見るものや体験するもの全てが新鮮で刺激的でした。
私が通うことになった学校は日本人中学校でした。
日本の学習指導要領に基づいたカリキュラムが採用されており、
日本の義務教育課程と同等の教育が行われます。
授業も基本的には日本語で行われるため、
学校生活をする上では不都合なく過ごせます。
日本人中学校では、海外生活が長い子供達が沢山いるのですが、
私から見た彼らの印象は、
・底なしに明るい
・個性がメッチャ強い
・積極的
・自己表現に長けている
などなど。
一方の私はというと、
大人しい性格、個性は普通、消極的、自己表現が苦手、、、。
私とは真逆の人間ばかりでした。
はじめは学校生活になじめるか心配でしたが、
そんな不安はすぐに消し飛んでいきます。
生徒達は転校生の私を積極的に受け入れてくれ、
気付いたら学校に行くことが楽しくなっていました。
放課後のサッカーやバレー、休日のカラオケやゲームなど、、、
この時の私は毎日遊びまくっており、
勉強は全くしていませんでした。
そして周りが受験勉強を始めだした中学2年生の冬。
今まで勉強をしてこなかったツケが回ってくることになります。
はじめての受験、そして帰国へ
私が通っていた日本人中学校では、
卒業後は基本的に2つの選択肢があります。
①現地校やインターナショナルスクールに進学する
②帰国し、日本の高校に進学する
親や担任の先生と話し合い、私は②を選択。
日本の高校を受験することに決めました。
そして日本の高校受験に向け、
親から塾に通わせてもらえることになります。
塾の初日。
入塾テストというものがあったのですが、
国・数・英の3教科、全て8点とか5点とか、一桁の点数でした(100点満点中)。
分数の足し算や引き算ができない、簡単な漢字も書けない、、、
当然の結果だったと思います。
塾長・母親と面談することになり、
今から本気で勉強しないと、どこの高校も行けないと告げられました。
ようやく受験スイッチが入り、本格的に勉強を始めていくことに。
私の場合は小学校の基礎からやり直す必要があり、
遅れを取り戻すために必死で勉強しました。
当然伸び悩んだ時期はありましたが、塾や親のサポートは勿論、
一緒に勉強していた友達の存在も支えとなり、
最終的に志望校に合格することができました。
中学卒業後は日本に帰国することが決まったのですが、
両親と兄は諸事情により、まだ帰国することができませんでした。
人生で初めて親元を離れ、
祖父母の家から高校に通わせてもらうことになります。
約3年間の短い期間でしたが、
中学生という多感な時期での海外生活を通して
「世界観を広げること、多様性を受け入れること」が自然に身に付いたと思います。
また、どれだけ環境が変わっても人間は適応できることを若いうちに実感できました。
この経験は今の価値観にも大きく影響を与えています。
そして4月へ。
高校生となり、新生活が始まりました。
高校生時代と部活での挫折経験
高校生時代は親元を離れ、祖父母の家から通うことになります。
校則がかなり厳しく、教師が生徒を殴って指導することも日常茶飯事でした。
一言で表すと、昭和の名残があるような高校です。
軍隊みたいな雰囲気が漂っており、
自由な校風・校則が全くない中学時代を過ごした私にとって、
慣れるまでは地獄そのものでした。
しかし、そのような校風にも少しずつ慣れていき、
真面目な学校生活を送っていくことになります。
また、私が通っていた高校は部活動加入率がかなり高く、
多くの生徒が何かしらの部活に加入しています。
私は特に入りたい部活はなかったのですが、
仲良くなったクラスメートから
「陸上の長距離を一緒にやってみない?」
と誘われたことがきっかけで、陸上部に入りました。
体力には自信があったのですが、
今までスポーツを本格的にやったことがない人にとって、
そんなに甘い世界ではありませんでした。
初めは日常の練習についていくことさえできず、
女子の練習に参加することもありました。
一方、一緒に入部した友達はどんどん速くなっていったため、
成長速度の差に劣等感を感じていました。
同学年の中でも一番タイムが遅く、駅伝なども当然メンバー外。
また、疲労骨折やスポーツ貧血などが弊害となり、
練習もままならない状況が続いたりもしました。
部活のコーチや監督からは、
普段の言動や態度から期待されていないことが私に伝わっていました。
そして2年生へ。
後から入部してきた後輩たちにもあっという間に追い抜かれ、
段々と部活に居づらくなっていきました。
練習を続けても記録が伸びないし、ケガも多い。試合もメンバー外。
ただ在籍しているだけの状況になりました。
目標を失ってしまった私は2年生の冬、
ついに部活を辞めてしまうのでした。
人生における最初の挫折経験だったと思います。
自分自身に負けてしまったような気がして、
ただただ悔しかったです。
こうして部活を辞めてしまったわけですが、
大学受験に向けて早めに取り組めるようになったことは
嬉しい誤算でした。
私は中学生の時から行きたい大学・学部があったため、
その大学に合格することが残りの高校生活の目標になりました。
部活では負けてしまったけど、受験では負けない。
今度は自分自身に勝つというマインドで
本格的に勉強をしていくことになります。
そんな中、3年生に進級するタイミングで母親と兄が日本に帰国。
この2人の存在が心の支えにもなりました。
受験勉強は大変でしたが、
自分で決めた目標に全力で取り組んでいる3年生の時が、
高校生活で一番楽しい時期でもありました。
そして受験当日。
発熱や電車の遅延など、アクシデントはあったものの、
第一志望の大学・学部に無事合格することができました。
中学生からの夢を叶えることができ、心の底から嬉しかったです。
受験に合格できたのは決して自分一人の力ではなく、
親や学校の教師、友達などいろんな人達のサポートがあったからこそ。
今でも感謝しています。
遊びほうけていた大学時代
高校時代とは真逆で自由な時間が多くなり、
大学時代は人生で一番楽しい時期でした。
サークル、アルバイト、恋愛、旅行、ゼミ、ボランティアなど、、、
多くの人と関わりながら色んな体験をしました。
大学受験で燃焼しきった反動もあったのかもしれませんが、
当時の私は毎日遊びほうけており、
学生の本文である勉強をした記憶がほとんどありません。
今となっては両親に大変申し訳ない気持ちがあります。
そんな感じで大学生活を過ごしていたため、
4年間では特にやりたいことが見つからず、
就職活動も周りがやるから自分もやるという感じでした。
全てに対して中途半端に取り組んでいました。
いかに早く内定をもらえるかということしか考えていなかったので、
一番最初に内定をもらった会社を就職先として決めたのです。
就活を速攻で終わらせ、
残りの大学生活もひたすら遊んで過ごしました。
今思うと、なんであの貴重な大学時代に
将来のことをもっと真剣に考えなかったんだろうと後悔しています。
人生のボーナスタイムである4年間はあっという間に終わり、
新社会人としての第一歩を踏み出しました。
上司の説教地獄による第1回目うつ病期
ファーストキャリアはメーカー業界の営業職でした。
社会人として初めての仕事、初めての一人暮らし、初めての土地、、、
不安もありましたが、最初の頃は希望に満ち溢れており、
何事も積極的に取り組んでいました。
仕事の内容に関してはそこまで苦に感じることはなく、
営業が楽しいと感じる瞬間もありました。
しかし、職場の人間関係で悩んでいくことになります。
人間関係の中でも、特に上司との関係が最悪でした。
当時の上司は仕事面や生活面、言葉遣いや社会人としての立ち振る舞いなど、
ありとあらゆるところまで細かくチェックする人でした。
ひとつでも気になるところがあったら徹底的に指摘され、
仕事終わりは毎日説教タイム。
2~3時間叱られた後に自分の仕事を片付けていたため、
帰宅時間は22時~23時が当たり前。
他の先輩社員たちのフォローはなく、
基本的には直属の上司とマンツーマンだったため、
逃げ場というか、癒しみたいなものが職場に一切なかったです。
そしてプライベートでは、結婚を考えていた彼女から振られました。
連絡の頻度が極端に減り、疎遠になって冷められてしまったことが原因です。
退社時間が早ければもっと連絡できたのに。
今の仕事じゃなければ別れずに済んだのかな。
やり場のない思いだけが残りました。
仕事もプライベートも最悪で、毎日楽しくない。
赴任先やその周辺に知り合いは一人もおらず、
すぐに相談できるような相手もいなかったので
誰にも気持ちを吐き出せませんでした。
そんな生活が続くと、身体に変化が現れました。
・食欲がなくなったことで体重が減少。
・睡眠障害で夜眠れない。
・何もしてないのに涙が出てくる。
このような症状が続き、私はとうとう、
うつ病になってしまいました。
死んで楽になりたい。
あの時は生きた心地がしませんでした。
転勤と転職
うつ病が回復した期間は、だいたい半年弱だったと思います。
その間に、うつ病の元凶となった上司は転勤となりました。
その後私も転勤となり、新天地へ旅立つことになります。
新しい勤務先では管理職のポジションを与えられ、
3年間で売上をV時回復させるプロジェクトの責任者となりました。
まだ若くて経験が浅かった私は、自分一人の意見よりも
現場全体の声を大切にしました。
ボトムアップを採用し、
組織全体が共通の目標に向かって協力し合う環境づくりに邁進することに。
ありがたいことに、従業員のほとんどが
目標達成に向けた行動を積極的に取るようになり、
困った時には助け合うような雰囲気を肌で感じていました。
人間関係は前の職場の100倍恵まれ、取引先との関係も良好。
3年規模のプロジェクトを2年半で成功させ、
会社から沖縄旅行のプレゼントまでもらいました。
この時期はプライベートも充実していました。
車で遠くまで旅行したり、マラソンが趣味になったり、
美味しい店を開拓したりと、
うつ病になった時とは真逆の生活を送ることができていました。
そしてプロジェクトが終わったタイミングで、
キャリアアップを目指して転職を決意。
約5年間お世話になった会社を退職し、
新しい会社へと転職することになります。
転職後はキャリアアップできたこともあり、
仕事に対するモチベーションはかなり高かったです。
そして最初の1カ月間の研修期間を終え、
営業職として本格的に働くことになります。
この時は過大なノルマやパワハラが待ち構えているとは思ってもいませんでした。
キツい営業ノルマ&パワハラによる第2回目うつ病期
営業の担当エリアやノルマが与えられると、
最初の2カ月までは営業成績も悪くなく、
どちらかと言えば順調に業務をこなせていました。
しかし、最初にノルマを達成できたことで
上司に「もっと仕事を与えても良い」と判断されたのか、
3カ月目からは仕事量が一気に増え、ノルマも跳ね上がりました。
そこから毎月達成することができなくなり、
早々に「できない人認定」されてしまいます。
上司に営業成果を報告する度に怒号を浴びせられる日々に。
営業職なので、ノルマが達成できなければ注意されるのは分かります。
しかし、私の場合は
「営業職に向いてない」
「できそこない」
「何を教えても時間の無駄」
など、人格否定が中心でした。
「自分には才能が無いのか」
「自分はダメ人間なのかな」
毎日落ち込む日々が続きました。
また、営業チームで毎週ミーティングと営業ロープレを行うのですが、
社歴が一番浅いという理由で私だけ、
メンバー全員が見ている前でロールプレイングを
週2ペースでやらされていました。
上司が怖くて萎縮して、何度やっても言葉が上手く出てこなくなりました。
営業ロープレ後は、全員が見ている前でダメ出しの嵐です。
メンタルとプライドはズタボロになっていました。
そして、前職で経験したように
体重減少や睡眠障害などがあらわれました。
何をしていても楽しくないと感じるようになり、
精神的にもかなり追い詰められていました。
これが2回目のうつ病です。
せどりビジネスに出会う
うつ病が再発してからは、家に引きこもるようになりました。
この時期はYouTube依存症と言っても良いほど、動画ばかり見ていました。
そんなある日のこと。
YouTubeでありとあらゆるジャンルの動画を見ていると、
とあるビジネス系ユーチューバーが投稿していた一本の動画に惹きつけられました。
これがせどりとの出会いです。
その方は脱サラして経営者として活躍しています。
莫大な借金を抱えながらもせどりでビジネスに大成功し、
その後は会社を立ち上げたという
まさに絵に描いたようなシンデレラストーリーです。
その動画を見て、
サラリーマンじゃなくても生きていける道は沢山あることを知りました。
会社に依存しない人生に強烈に憧れ、
同時にせどりという再現性が高いビジネスを知り
「これなら自分もできそう!」
と生きる希望が湧きました。
また、同時期に『ちょっと今から仕事やめてくる』という映画を見ていました。
仕事のノルマが厳しく精神的に追い詰められ、
あやうく命を落としかけそうになった主人公が、
会社で働くことよりも大事なものはこの世に沢山あることを知り、
会社を辞めるというストーリーです。
自分と重なるところが多く、この映画には本当に勇気づけられました。
自分を脱サラに導いたのは、一本の動画と一本の映画がきっかけでした。
そして上司に退職願を提出し、会社を辞めることに成功したのです。
会社を退職し、ビジネスの世界へ
世間一般的には、副業である程度稼げるようになってから
脱サラするのが自然な流れかと思いますが、
私の場合は副業で1円も稼いだことがない状態から脱サラしました。
なぜなら、それだけ会社を辞めたい気持ちが強かったからです。
精神崩壊してまで働く理由が見つかりませんでした。
ビジネスで稼げる保証は1ミリもなかったので、かなり危険な賭けでした。
ただ、自分でビジネスをやるしかない環境を
無理やりでも作れたという点では良かった気がします。
そして、せどりビジネスの世界へと足を踏み入れていくことになります。
右も左も分からない状況だったので、
先ずは私に脱サラする勇気を与えてくれた
ビジネス系ユーチューバーのコンサルに申し込みました。
しかし、このコンサルはほぼ詐欺のようなものでした(笑)。
あまり内容を深く掘り下げることはできませんので、ご了承ください。
また、この後もコンサルやスクールに何度も投資し、
お金だけが減っていくという経験をします。
その経験のおかげ(?)もあり、
詐欺コンサルや詐欺スクールを見極めるスキルは
それなりに身についたと自負しています。
それでは、ここから私がどのような失敗や挫折を
繰り返していったのか記していきます。
度重なる失敗・挫折
せどりをはじめた初期の頃は、
主に店舗を仕入れ先と決めて行動していました。
私が一番最初に入ったコンサルも店舗せどりを推奨しており、
「自分も絶対稼げるようになる」という、謎の自信がありました。
そして、ドンキ・イオン・家電量販店・ホームセンター・ブックオフ
スーパー・ドラッグストアなど、ありとあらゆるジャンルの店に行っていました。
車で県外に行ったりもしていました。
しかし、勿論そんなに簡単にはいきません。
1日中店舗を回ったのに利益が500円の日もあれば、
朝8時からスタートしても良い商品が見つからず、
日をまたいで次の日の夜中4時まで店舗でリサーチしていたこともあります。
当時は商品のバーコードをひたすら読み取り、
運が良ければ利益商品が見つかるという感じで、
今思うとありえないくらい効率が悪かったです。
そんな時期がずっと続き、1回目のコンサル期間が終了。
モチベーションも徐々に下がっていった結果、1度せどりを辞めています。
そして、1日中ゲームをするという
完全なニート状態になっていました。
そんなニート状態が3カ月以上続いていると、
外出した時に働いているサラリーマンを見るたびに
自分が惨めで情けなく思うようになりました。
「このままじゃダメだ」と気持ちにスイッチが入り、
再度せどりに挑戦することになります。
次はX(旧Twitter)で見つけたインフルエンサーのせどりコンサルに入りました。
このコンサルでは店舗・電脳・卸・メーカー仕入れなど、
幅広い内容をカバーしていました。
今までは店舗せどりがメインでしたが、今度は電脳せどりに挑戦してみました。
しかし、店舗せどり以上に商品が見つかりませんでした。
その次に卸やメーカー仕入れにも挑戦してみましたが、
全然結果が出ず…。
当時はリサーチスキルを含め、
せどりや物販に関する経験・知識・ノウハウ、、、
全てが実力不足でした。
そこからは連敗続きです。
メーカー仕入れに特化したコンサル、問屋・卸に特化したコンサル、
BUYMAのコンサル、ヤフショの無在庫コンサル、、、
色んなコンサルに入りましたが、全て結果が出ませんでした。
せどり以外に、FXやアフィリエイトにも挑戦してみましたが、
これも上手くいかず。
上記以外にも数えきれないくらい失敗していますが、
挙げたらキリがないので割愛します。
融資も受けたのに、資金は減るばかり…。
このままじゃヤバイと本気で思うようになり、
せどりで成功している人たちの共通点を探していくことにしました。
そして、せどりだけではなくビジネス全般に当てはまることですが、
成功者の多くはビジネスの組織化・外注化が上手いことに気付きはじめます。
ビジネスの組織化・外注化に向けて
せどりビジネスの組織化・外注化に向けて取り組み始めたのは、
せどりをはじめて約2年が経過した頃です。
ここから本格的に、
自分じゃなくてもできる業務は他人に任せてみよう
というマインドにチェンジしました。
先ずはお金を1円も生み出さない
納品・梱包などの単純作業を外注化するべく、
クラウドワークスや就労支援施設、納品代行会社などを探しました。
一番安く委託できる外注先を徹底的に見つけていった結果、
1商品5円からという格安で納品作業を委託できる仕組み作りに成功します。
外注先を3つ開拓し、マニュアル作りや教育に注力していったことで、
自分は仕入れのリサーチだけをすれば良いという状況になりました。
そこからは毎日朝から晩までリサーチする日々に。
いま思うと、稼げていない原因は単純に「リサーチ不足」だったと思います。
せどりを含め、ビジネス世界でもやはり勉強量が一番大事です。
学生時代、勉強や部活はあれほど情熱的に頑張れたのに、
なんでビジネスだと本気で頑張れなかったのか。
自分の稼ぐマインドやビジネスに対する情熱の弱さを痛感しました。
自分自身が本気で変わっていかないと、
どれだけ有益な情報を手にしたり優良コンサルに巡り合えたとしても、
一生稼げるようにはなりません。
ゲームや漫画を全て売り、スマホに入っているゲームアプリを全て消し、
地元の友達からの誘いや集まりは断り、
ビジネスに対して本気で取り組むように変化していきました。
3年目からの逆転劇
仕入れのリサーチに十分な時間を確保できるようになったことで、
今まで全く上手くいかなかったことが嘘のようにできるようになっていきました。
月利も10万円⇒30万円⇒50万円⇒90万円と伸び続け、
サラリーマン時代よりも高い月収を安定的に超えるようになっていました。
日給500円以下だった男が急成長したのは、せどりをはじめて3年目からです。
この期間に数えきれないくらいの失敗を経験し、
ビジネスから完全に離れてしまった時期もありました。
しかし、途中でやめなかったからこそ得られた結果です。
「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。
成功するところまで続ければそれは成功になる。」
Panasonicの創業者である松下幸之助氏の言葉です。
私はこの言葉に何度も助けられました。
一見マイナスなことであっても、
物事の捉え方を変えるだけで多くのことが変わっていきます。
失敗することも、決してマイナスなことではありません。
失敗したことから様々なことを学び、次に生かすことがさらなる成長に繋がります。
このマインドを持ち続け、これからも一歩一歩成長していきたいと思います。
コンテンツビジネス経営者との出会い
せどり物販が軌道に乗り始めたので、
副業として新しいビジネスを探していくことになります。
今後Amazonやヤフショの規約が改悪したり垢バンになってしまった時、
収入源を複数もっておいた方が安心だと考えていたのです。
プラットフォームに依存するのはリスクが伴うので、
最悪の場合に備えて行動を開始しました。
当時の私は情弱だったので、
最初はただただ脳死で色んなジャンルの教材を買いまくりました。
アフィリエイト・WEB製作・AI × 副業・コンテンツビジネス、、、etc.
教材を沢山買ってみたものの
「もっと他にも簡単なビジネスがあるのではないか?」
隣の芝生が青く見え、当時はラクに稼げる方法ばかり探していました。
また、買った教材の中には
全く内容が分からないゴミみたいなものも沢山あり、
気が付けばお金だけが消えていく日常に・・・。
そこから1度ビジネス選定の基準を変え、以下の3つを軸にしました。
- 自宅でもできる
- 高単価でも売れる
- ストック型ビジネスで資産になる
これら全てを満たしたビジネスとして、
コンテンツビジネス1本に絞ることを決意。
そこからコンテンツビジネスの市場リサーチを始めました。
しかし、その後もBrain・Tips・X(旧Twitter)を見て教材を買っては、
インプットだけして終了するということを繰り返します。
実際に行動に移すことが全くできませんでした。
なぜかというと、教材を通して知識やノウハウは理解できるのですが、
インプットした後の具体的な行動が分からず、
上手く自分に落とし込めていなかったからです。
「初心者の自分にそもそもコンテンツがつくれるのか?」
「もしコンテンツが作れても、1つも売れなければ時間の無駄になるのでは?」
「自分にあった商品ジャンルは?」
その他にも多くの疑問や不安だけが残り、
なかなか重い腰が上がりませんでした。
完全なノウハウコレクターでした。
これは過去の自分に当てはまるのですが、
完璧主義な人ほどノウハウコレクターを脱出できません。
何か不完全なものがあると、
全てできるようになってから行動しなければいけないと
自分にブレーキをかけてしまい、アウトプットを躊躇してしまうのです。
アウトプットがなければ、当然成果にも繋がりません。
完璧なものをアウトプットするのではなく、
今できる最善のものをアウトプットすることが大事だったのです。
この考えに気付いたのは、新規ビジネスを探し始めて約1年半が経った頃でした。
それから時は流れ、
知人からの紹介で一人のコンテンツビジネス経営者と出会いました。
この方はコンテンツビジネスで月収300万円を超えており、
業界内でもトップレベルの実力者です。
実践しているビジネスを聞いたところ、
ノウハウの凄さに圧倒されました。
他のコンテンツビジネス経営者がやっていないような手法を
23歳という若さで独自に開発していました。
そして、コンサルへ入会することを決意しました。
ここから本格的にコンテンツビジネスでのマネタイズに向けて取り組み始めます。
開始5日で0→1達成
自分よりもはるかに年下の若き起業家から教わり、
コンテンツビジネスの始め方や最速で0→1突破する方法など、
収益化するのに必要なことを本格的に学びました。
「とりあえずコンテンツができたら販売してみよう。」
この考えをもって、記事とサムネイルを4日間で仕上げ、
5日目に記事を全体公開しました(最初はBrainで出品)。
人生初のコンテンツなので売れるか不安でしたが、
その不安は一瞬で消えました。
公開初日のわずか数時間で、なんと記事が10部以上売れたのです。
その時はあまり実感できていなかったのですが、
ただただ嬉しかったです。
しかし「偶然売れただけかもしれない」という気持ちも強くありました。
半信半疑を確信に変えたかったので、
すぐに2作目の記事作成に取りかかりました。
熱が冷めないうちに急いで完成させるべく、
第2作目も5日間で出品までもっていきました。
そして1作目と同様、今回も公開初日から一気に売れました。
コンテンツビジネスは誰でも0→1突破できることを認識できた瞬間でした。
日給500円の時代には到底考えられなかった現象です。
それから記事を量産していったのですが、その期間は長く続かず、
私はコンテンツビジネスから一度離れています。
理由は以下の3つ。
①:ビジネスをやる目的への動機が弱く、 長続きしなかった
②:小手先のノウハウばかりで、 基礎知識が全く身に付かなかった
③:物販とのダブルワークが時間的に厳しかった
①について、ビジネスをやる目的への動機が弱ければ、誰でも長続きしません。
当時の私は記事をとりあえず量産して、
お金を稼ぐことだけが目的になっていました。
ビジネスを通して何を実現したいのか?
目の前のお客様をどのように助けたいのか?
お金を稼いだ先の目標は?
ビジネスの本質を見失っており、完全に自己中心的な考えでした。
お客様ありきのビジネスなのに、これだと長く続くわけがありません。
身をもって体験したからこそ、今では深く反省しており、
2度とこのような状態に陥らないように活動しています。
また②について、当時のコンサルでは小手先のノウハウばかり教わっていました。
これだと短期的には稼げるのですが、
長期的には100%稼げません。
なぜなら、
小手先のノウハウは時代の流れとともに変わるからです。
その時に通用したノウハウが、数か月後、数年後には稼げなくなります。
AIばかりに頼っている人も例外ではなく、いつか限界がきます。
一方、ビジネスの基礎知識は普遍的なモノです。
時代が変わっても、ビジネスの根幹にあるものは古来から存在し続けています。
AIやロボットがどうこう出来るモノではありません。
基礎知識を身に着け、それを磨き続ければどんなビジネスにも応用ができます。
つまり、ビジネスの基礎知識を早いうちに磨いておけば
一生食いっぱぐれません。
この基礎知識を身に着けることを怠り、ラクして稼ごうとする人こそ
長続きせずに消えてしまうのです。
そして③について、せどり物販を本格的にやっている人なら理解できると思いますが、
事業規模を拡大すればするほど、膨大な時間がかかります。
当初は副業目的でコンテンツビジネスを始めましたが、
ダブルワークだとどうしても時間が足らず、諦めざるを得ませんでした。
上記3つの理由により、勢いに乗っていたせどり物販事業を優先した結果、
本業メインに舵を切り、コンテンツビジネスから一度離れました。
その後も売上・利益ともに伸ばし続けていくことになります。
年収が大幅に上がり、一度サラリーマンに戻ってしまう
今でこそ後悔しているのですが、物販ビジネスで結果を出していたにもかかわらず
私は一度サラリーマンに戻ってしまいます。
理由は主に以下の2つ。
・ビジネスで年収が大幅に上がったため、市場価値が高い状態なら大手企業に入社できると思った
・せどり物販は市場の競争が激化しており、今後個人で戦うのは確実に難しくなる
そして転職活動をすることになるわけですが、
せどり物販で行ってきた取り組みや、
知識も経験も0の状態から
サラリーマン時代以上の成果を上げていたことなどが評価され、
3社から内定をもらいました。
これは後から分かったことなのですが、
経歴がイレギュラーで特殊だったことも良い意味で目立ったみたいです。
そして、3社のうち一番好待遇でのオファーだった企業に入社することを承諾。
久しぶりのサラリーマン生活がスタートします。
適応障害になり、コンテンツビジネス一本に絞ることを決意
サラリーマンとして働くことになったわけですが、
ここでも過去と同じような道を辿ることになります。
またかとツッコミたくなるかと思いますが、
職場の人間関係で悩んでいくことになります。
会社員としてのブランクこそあったものの、最初は職場のメンバーと
上手くコミュニケーションを取りながら働けていました。
しかし、直属の上司が過去最強のパワハラ気質でした。
例えば、精神的な攻撃。
「能力が低いんだから、休日も休まずに勉強しろ」
「自分が給料泥棒ってことをもっと自覚した方が良いよ」
「教えた時間が全部無駄になった。どうやって責任取るん?」
みんなの前で、大声で威圧的な叱責を繰り返し行うことが日課です。
また、教わったことがない内容に関しては
「自分で調べて、分からなければすぐに聞いて」と言いますが、
質問すると「分からなければ、自分で調べろ」
と説教されるため、どうしたら良いのか分からず、お手上げ状態でした。
ちなみにこの上司、女性に対してはかなり優しく、
私にとる態度とは180°違います。
そして、入社して半年も経たないうちに、
うつ病の一歩手前である「適応障害」になってしまったのです。
精神疾患を繰り返す自分が情けないと感じ、
自己嫌悪に陥っていた時期もありました。
しかしこの経験があったからこそ、こうやってブログを書いたり
情報発信をしていくことに繋がりました。
そして私は本気で決意しました。
自分で稼ぐ力を身に着け、残りの人生はフリーランスとして生きていこうと。
私は自分の裁量で自由に仕事を進められるフリーランスの方が、
サラリーマンの100倍良いです。
人間関係では一切悩まされることがなかった
フリーランスに絶対に戻る!
そんな想いから、
コンテンツビジネスのリサーチを始めました。
しかし、、、意気込んでスタートしたにも関わらず、
自己流で迷走し続けていたこともあり、売上ゼロの状態が続きました。
売上に繋がらない作業時間とストレスばかりが増えていき、
自由とは真逆のボロボロの状態になりました。
そこでようやくちゃんと学ぼうと決め、
以前から気になっていた、とある情報発信者の存在を思い出します。
その方は月収200万円を超えており、個人だけではなく
中小企業の経営者に向けてもプロデュース事業をされています。
数多くの情報発信者がいる中でも、
断トツで話が分かりやすい点に魅力を感じていました。
直接話してみたくなり、
ある日Zoomで無料のコンサルを受けてみることに。
初心者の私に対して
・どんな流れで取り組んでいけば良いのか
・具体的に何を学び、それをどのように活かせば良いのか
・なぜ多くの情報発信者はビジネスに敗れて消えていくのか
その他にもビジネスの本質や、有益な情報を包み隠さず教えていただき
「この人についていけば間違いない」と確信しました。
「これでやらなかったら人生が変わらない」
理不尽な会社&上司からおさらばしたいという一心から、
その方の講座に入会することを即決し、
コーチングのような形で教えていただけることになりました。
通常、大手のスクールやコンサルでは同じ内容を一斉に教えるため、
それが合わない人にとってはサポートを受ける意味がありません。
しかし師匠の場合は、ライフスタイルや価値観に沿って
その人に合った方法を教えてくれます。
入会後も細かなところまでサポートが行き届いており、
質問しても即レスしてくれるため、
早く成果が出る環境が整っていました。
でも、どんなに素晴らしい環境でも最終的に成功するかは自分次第。
そして「ビジネスの基礎知識と顧客への価値提供」の重要性を深く理解した私は、
何度も何度も音声教材のインプットとアウトプットを繰り返しました。
最初は数分の動画を1本撮影するだけでも、丸一日費やしていました。
しかし、苦労してビジネスの基礎能力を身に着けたからこそ、
人にも話せるレベルまで成長できたと自負しています。
以前もコンテンツビジネスをかじっていましたが、
その時よりも明らかに深い学びができるようになりました。
今では高単価商品も作れるようになり、コンサルも獲れるようになりました。
そして脱サラしたことで、以前のフリーランス時代以上の自由を手に入れました。
どんな感じの自由かと言いますと、、
・パワハラ上司、将来の不安、うつ病から脱出
・パソコン1台あれば、どこにいても働ける
・平日の朝からカフェに行ってのんびり読書
・翌日起きる時間を気にせず、好きな時間まで映画鑑賞
・昼間に買い物行ったり、食べ歩きする
せどり・物販をやっていたフリーランス時代は毎日が忙しかったし、
資金が必要だったりプラットフォームにも依存していたため、
精神的・体力的にも自由ではありませんでした。
コンテンツビジネスであれば、いつでも誰でも
「お金の自由・時間の自由・精神的な自由・身体的な自由」
この4つの自由を手に入れられることを、身をもって体験しています。
もしも、コンテンツビジネスをやっていなかったら・・・
上司からのパワハラ地獄が今でも確実に続いていましたし、
毎日憂鬱な気分で、朝早くから死んだ目で通勤電車に乗っています。
残業で帰宅が遅くなることも多いし、
帰ったらご飯を食べて風呂に入って寝るだけの生活でした。
また、税金・物価も上がり続ける時代だからこそ
将来の不安に押し潰されて、もっと病んでいたのは間違いありません。
あの時に勇気を出して決断して良かったと、心から感じています。
今後の目標としましては、
中小企業のコンサルも行い、10億~100億円規模の仕事に携わりたいと考えています。
そして現在のビジネスが軌道に乗っていけば、ビジネス系以外のジャンルにも挑戦する予定です。
その目標を達成するべく、良質な情報のインプット・アウトプットは
毎日欠かさず行っています。
あとは継続するだけ。
今後は師匠から学んでいるものも含め、
私が数百万円かけて学んできたもの全てを世に発信していきます。
私が情報発信をはじめた目的
ここまで紆余曲折ありましたが、
そもそも私がなぜ情報発信をはじめたのか。
それにはある理念、考えがあります。
それは何かというと、
私は
『会社に依存しなくても生きていける人を増やしたい』
という理念です。
私はサラリーマン時代、職場の人間関係とパワハラが原因で
うつ病と適応障害を経験しました。
自分自身の生き方を見つめ直し、
一念発起して仕事を辞めて脱サラもしています。
稼げるようになるまで時間こそかかったものの、
自分のビジネスだけで食べていけることを身をもって体験しました。
心身ともに壊れたことがある私だからこそ、
うつ病・うつ病予備軍の人達の理解者になれる自信があります。
私は脱サラを目指している人や副業に本気で取り組みたい人が目の前にいれば、
全力でサポートしたいと考えています。
自分自身がサラリーマン→うつ病→脱サラ→ニート⇒収益化までの
一連の流れを経験していますので、同じような境遇の人に対して
何かしらのサポートやアドバイスをできる自信があります。
昨今、私のようにパワハラや人間関係が原因で
メンタル不調やうつ病になる人は沢山います。
自ら命を絶つ人もニュースでよく見かけるようになりました。
おそらく、真面目で頑張り屋さんな人ほどそうなるのでしょう。
学生時代は真面目で頑張る人が評価されるのに、
会社では真面目な人ほど損をしています。
ビジネスを本業レベルに引き上げれば、
好きな人とだけ仕事ができるようになり、
職場の人間関係やパワハラで悩むことは一切ありません。
脱サラまでしなくても、副業で稼げるようになれば
頑張って出世する必要もなくなりますし、
役職に就くよりもお金が手に入ります。
年収を上げたい人であれば、会社員よりもビジネスの方がはるかに簡単です。
また、お金にそこまで欲がなくても、
「お金よりも自由が欲しい」という人も多いのではないでしょうか?
そんな人にこそ、ビジネスで頑張ってみることを視野に入れて欲しいのです。
「個人事業主や経営者はリスクが高いからやめとけ」
「副業なんかしても稼げない」
「どうせお前には無理だ」
昔の時代を生きてきた人や会社員しか経験したことがない人ほど、
批判的なことを言うかもしれません。
しかし、
ビジネスで稼ぐことが難しかった時代はとっくに終わっています。
なぜなら、現在はインターネットが目覚ましい進歩を遂げているからです。
個人でもありえないくらい簡単にお金を稼げる時代になりました。
そんな時代を生きているのに、会社員として今の仕事だけで
終わる人生は勿体ないと感じるのです。
人生は一度きりです。
あくまでも、仕事とは人生を少しだけ豊かにするための一手段でしかありません。
もっと好きなことや興味があることに挑戦してみてもいいのではないでしょうか?
会社に依存しない働き方や人生を目指してみる価値は十分にあります。
私は情報発信を通して色んな人と繋がり、
ビジネスで一緒に頑張る仲間を作りたいとも考えています。
ネットビジネスは性質上自宅にこもって作業することが多く、
なんとなく孤独を感じる人が多いと聞きます。
私もビジネスをはじめたばかりの頃は
コンサルやスクールに所属していたものの、
孤独や寂しさのようなものを感じていました。
切磋琢磨できる仲間が最初からいれば、
せどり物販でも挫折することはなかったかもしれませんし、
もっと早く結果を出せていたかもしれません。
ビジネスで挫折せずに最短で結果を出すためには、
一緒に頑張れる仲間やお互いに高めあえる環境が不可欠です。
ビジネスで一緒に頑張る仲間を作ることは、
お互いにとってメリットしかありません。
そしてビジネスを成功させ、
過去や現在のツラかったことも笑い話にできる日がくれば、
これほど嬉しいことはありません。
そんなことを夢見ながら、今日もビジネスを頑張っています。
今までのことを振り返る感じで記事にまとめてみました。
この記事の感想をコメントに書いていただけるととても嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
※追伸
公式LINEにて期間限定にはなりますが、
コンテンツビジネスのはじめ方であったり、
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